2015年11月24日
祖父の念願を叶えるのは僕のようです。新しいミッションが加わりました^^
祖父の晩年の想い。遠い地に眠る父と母のお墓を探すミッションは僕が引き継ぎます。
こんにちは!
沖縄県那覇市のJAZZが大好きな遺言・相続専門の行政書士、ジャジーこと城間恒浩です。
この三連休の間に、僕の母親が気にしていた倉庫の片づけをしていました。
「城間恒一の父葬式 アメリカ ロスアンゼルス協会 母と友人」
城間恒一とは、僕の祖父。
そして、他にもこんなアルバムも見つけました。
かなり傷んでますが、スウェードっぽい素材でできたアルバムです。
「思出 ♪ アルバム 那覇市上ノ蔵町一ノ三八 城間 恒一」
真ん中の記号は、おそらく「♪(音符)」。
さらに、めくってみると・・・
さらにさらにめくってみると・・・
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こんにちは!
沖縄県那覇市のJAZZが大好きな遺言・相続専門の行政書士、ジャジーこと城間恒浩です。
この三連休の間に、僕の母親が気にしていた倉庫の片づけをしていました。
そしたら、こんな写真がでてきました。
「城間恒一の父葬式 アメリカ ロスアンゼルス協会 母と友人」
城間恒一とは、僕の祖父。
60歳の時に心筋梗塞で亡くなりました。
上の写真は、その祖父の父(恒睦)の葬儀の写真。
つまり、僕の曽祖父です。
曽祖父は、アメリカのロスアンゼルスでホテルを経営していましたが、あるとき銃撃戦に巻き込まれ、流れ弾が当たり亡くなったと聞いていました。
この写真は、その曽祖父の葬儀の写真のようです。
多くの男性に囲まれて、真ん中に唯一の女性が写っています。
女性は、曾祖父の妻(もん)。
つまり、僕の曾祖母です。
曽祖父は沖縄の出身で、曾祖母は長野県の出身。
二人の話は断片的に聞いていましたが、曽祖父と曾祖母がロスアンゼルスで生活していたのは間違いないようです。
そして、この写真の下の方にアルファベットの文字が見えます。
「T.K.Akitshi(この部分は曖昧) PARIS STUDIO 233 1/2 E. FIRST ST. L.A.」
「T.K.Akitshi(この部分は曖昧) PARIS STUDIO 233 1/2 E. FIRST ST. L.A.」
この写真を撮った、写真店のロゴだと思います。
頭の文字が判別できないのですが、ロスアンゼルスのファーストストリートにあった写真館のようです。
グーグルで住所を調べてみると、ロスアンゼルスのリトル東京と呼ばれるエリアにあるようです。
僕が曽祖父と曾祖母についてわかったことは、ロスアンゼルスに在住していて、曾祖父はそこで亡くなったということ。
住んでいたのは、おそらくリトル東京と呼ばれるエリアの近く。
そして、他にもこんなアルバムも見つけました。
祖父(恒一)のアルバム。
かなり傷んでますが、スウェードっぽい素材でできたアルバムです。
ALBUMの文字がうっすらと見えます。
開いてみると、祖父の文字で・・・
開いてみると、祖父の文字で・・・
「思出 ♪ アルバム 那覇市上ノ蔵町一ノ三八 城間 恒一」
真ん中の記号は、おそらく「♪(音符)」。
じいちゃんなかなか、お茶目な感じです。
僕も良く使います^^
さらに、めくってみると・・・
左の写真の男性は曽祖父(恒睦)。
右の写真は曽祖父と曾祖母(もん)の結婚記念日の写真。
さらにさらにめくってみると・・・
左の女性が曽祖母(もん)。赤ちゃんが祖父の一番下の妹(恒子)。
右上が、祖父の妹(芳子)。右下の男の子が祖父(恒一)。
おそらく1920年頃の写真です。
上の写真は、曽祖父が写っていないことから、曽祖父が亡くなった前後に撮った写真ではないかと思われます。
曾祖母(もん)は三人の子供を連れて、一旦、日本に戻りますが、日本に戻る船の中で、一番下の子(恒子)は病死。
夫を亡くし、赤ちゃんも亡くし、曾祖母の悲しさは計り知れなかったでしょうね。
日本についた3人(曾祖母、祖父、祖父の妹)は、その後、曾祖母の出身地の長野県に一時身を寄せ、祖父の妹の芳子は親戚宅に引き取られたそうです。
そして、祖父は曽祖父の兄に、男の子がいなかったことから、養子として迎えられ城間家の跡取りとなります。
その後、曾祖母(もん)は、一人、ホテルを営むために、ロスアンゼルスに戻り、その地で生涯を終えたそうです。
曾祖母は、夫のいないロスアンゼルスでの生活が、どうなるか不安だったのかもしれません。
だからこそ、日本に帰り子供たちを信頼おける親戚に預けたのでしょうね。
祖父の家族は、皆バラバラになってしまいました。
とても寂しかったのではないかと思いますね。
でも、曾祖母が子供たちを日本に連れ帰る決断をしていなければ、今の僕は存在していなかったかもしれません。
そのことを考えると、僕の運命も奇跡的なものだと感じます。
ちなみに、祖父は妹を長野県から、沖縄へ連れ帰りますが、日本に帰ってから20年近くの時間がかかったそうです。
僕の祖父(恒一)は、晩年、英語の勉強を独学でしていたと聞きました。
それは、自分の父親と母親のお墓をロスアンゼルスに探しに行くためだったようです。
しかし、祖父は突然の病により60歳の若さで、この世を去ってしまいました。
たぶん、お父さんとお母さんのお墓参りをしたかったことだろうと思います。
僕は今回この写真を見つけて、曽祖父と曾祖母の眠る街の手掛かりを得ました。
もちろん、探しに行きます。
祖父のなしえなかったことは、僕がするしかないですね^^
僕は祖父に良く似ていると言われています。
祖父(恒一)の写真。似てますか?
お墓で眠る曽祖父と曾祖母も僕の顔をみれば、すぐに自分たちの血筋であることに気づいてくれるのではないかと思います。
だから僕が行った方がいいのだと思うのです。
また、やるべきことが見つかりました。
行政書士として、遺言や相続のことを勉強するうちに、祖先に対する想いがこれまでにもまして、どんどん強くなっているように思います。
僕は幸せです。
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Posted by 行政書士 城間 恒浩(ジャジー) at 07:45│Comments(2)
│最近の出来事
この記事へのコメント
「祖父の晩年の思い」楽しく読みました。私たちも知らなかった事があり、びっくりして感心しました。
その中に、音符記号が記されているとありましたが、それは"の”を“能”の仮名文字(万葉仮名)を使用しているようです。
その中に、音符記号が記されているとありましたが、それは"の”を“能”の仮名文字(万葉仮名)を使用しているようです。
Posted by みよこ at 2016年01月09日 15:26
みよこさん、ありがとうございます。
僕たちのルーツが少しでも、伝えられるといいな~と思い書き記しました。
将来、お墓探しに行ってみたいと思います^^
「能」の仮名文字だったんですね~~
ありがとうございます^^
僕たちのルーツが少しでも、伝えられるといいな~と思い書き記しました。
将来、お墓探しに行ってみたいと思います^^
「能」の仮名文字だったんですね~~
ありがとうございます^^
Posted by 行政書士 城間 恒浩(ジャジー) at 2016年01月11日 10:45